2011年11月30日

カノッサの屈辱(1)

「カノッサの屈辱」事件は日本では妙に有名である。中学校の歴史教科書にもしっかり載っており、出題され易い部分でもある。「カノッサの屈辱」という人気番組のタイトルに使用されたのも一般人に強い印象を残している証拠であろう。

カノッサの屈辱という言葉は中立的ではないとして、現在の欧米の歴史学や教育においては、あまり使われておらず、「カノッサへの道」(road to canossa、カノッサ事件までの経緯)の名称が使用されるが、「叙任権闘争」問題がメインであり、カノッサ事件はその中の1事件としてあまり大きくは扱われていない。

叙任権闘争というのは、単に司教・聖職者職の任命権を争ったものではなく、地上におけるキリスト教の頂点、神の代理人の座を争っているのである。宗教上の頂点は当然、ローマ教皇のように思えるが、神聖ローマ皇帝も聖別された存在とされていた。

ローマ帝国では皇帝がローマ教会を支配下に入れていたことは明らかであり、カール大帝もオットー大帝も同様に考えていたと思われる。実際、ハインリヒ4世以前の神聖ローマ皇帝は実質的にローマ教皇の任命・解任に大きな影響力を行使しており、帝国諸侯でもある司教職の任命権を握ることにより、諸侯の力の強い帝国内において、教会組織を通じて支配力を強化していた。

ところがローマ教会におけるクリュニー改革により、皇帝・領主による聖職者の任命はシモニア(聖職売買)に当たるとして任命権をローマ教皇が握ることを要求した。既に帝国内において、多くの所領が教会に寄付されており、司教・司祭職の任命は、その教会の建立に寄与した王侯・貴族の権利と見なされていたため、皇帝は当然それを拒否したが、問題は単に聖職者の任命権のみの話ではない。

既にローマ教会の影響力は司教領のみではなく、世俗領においても教会法は強い影響力を持っており、ローマ教皇が宗教上の頂点となることは、イスラム法により統治されるイスラム世界のカリフのように政教両面における最高権威の位置に就く可能性が生じるのである。

皇帝ハインリヒ4世は強くこれを拒否し、教皇グレゴリウス7世の解任を企てたが、政治感覚に優れた教皇はドイツ諸侯を上手く煽って対立王を擁立させ、ハインリヒ4世を破門した。本来、破門はあくまで宗教上の処置であり、世俗上の皇帝の地位に影響はないはずだが、皇帝・王はキリスト教において聖別された存在であり、主君と臣下の封建契約は神への誓いとして実現されているため、破門された君主の地位と契約は全て無効になるとした。ハインリヒ4世は当初、破門の影響を軽く見ていたが、諸侯の大半は上記の教皇の理論を支持し、帝国会議において、1年内に破門が解かれない限り、ハインリヒ4世の地位は無効で対立王を立てると宣言した。

大義名分を失った者が不利な立場に追い込まれると、現在、従がっている者たちも何時背くか定かではない非常に不安定な立場となるため、この時点においてハインリヒ4世は完敗したと言える。

[カノッサの屈辱(2)に続く]
posted by zorac at 09:04| Comment(0) | 西洋史
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